NBOの記事タイトル。

日経ビジネスのオンライン版の登録をした際に、設定でニューズレターを受け取るようにしていたので、ちょくちょく送られてくる。
で、目玉記事のタイトルがメールのサブジェクトとして送られてくるのだが、地震以降のこれらの記事タイトル、このセンスは一体何なんだろうか。

それでも海のリスクと共に生きる(4/4)
これからの「放射能」の話をしよう(4/5)
この「風評」の半減期はどのくらい?(4/8)
津波にぶっ壊された現場を巡り、考えた(4/12)
嘘やデマが“生き残れない”ツイッター(4/13)
食べるベクレル、浴びるシーベルト (4/19)

学級新聞並みのアナロジーだとか、構造改革ターミノロジーがそのまま援用されてたりだとか、不謹慎云々というか、なんかもう不気味ですらある。

                                                                                                        • -

(簡単な分析やコメントめいたもの。ちなみに記事本文はあほくさくて読んでません。)
「それでも海のリスクとともに」
→普通、「海のリスク」は、「それでも」という条件の中に含まれるのではないのか?
(例.「海のリスクはあるが、それでもこの場所で生きる」なら、自然である。)
このままだと、「海のリスク」こそが、様々な条件を留保させるほどの価値を持っているかのように感じて、少し、投資家や起業家のロマン主義をにおわせる表現になっているように感じる。 


「これからの「放射能」の話をしよう」
→どうしてこの話題にサンデル教授を持ち出さねばならないのか解らない。白熱教室やろうぜ、てことなのかね?しかし、正義みたいな簡単には定義しがたいものと違って、放射能ってそんな対話型の議論が必要な話題かね?

「この「風評」の半減期
→意味不明。どういう思考回路からこういうアナロジーが出てくるのか解らない。

津波にぶっ壊された現場」
→ふざけているようにしか見えない。「ぶっ壊された」という言葉を使う必然性が全く見つからない。

「嘘やデマが“生き残れない”」
→引用符をつける意図は如何に。このご時世でもう少しセンシティブであって欲しいものなのだけど。

「食べるベクレル、浴びるシーベルト
→ふざけているようにしか見えない。スローガンの累積効果で、「風評の半減期」が少し伸びたりしないんですか。


(まとめめいたもの)
「構造の類似に対する、単純に過ぎる認知」みたいなものが根底にあるのかな、という。