環境への投資、厳しさ、導きの灯。

部屋の内装は出来るだけ好きなものにこだわるやうにしてゐるが、綺麗にしたいとふより、ほぼ、自分の部屋で勉強的な本が読める樣にするためのお膳立てである。


試験前になると掃除がしたくなる、ってやつ、現実逃避といふ解釈が普通なのだらうけど、ほんとかな、って思ふのだよな。
多分、物事には順番ってものがあって、部屋も綺麗に出来ないのに、特に才能もない奴が勉強なんかしようとしてもダメで、その辺を何となく感じてて、掃除から手をつけてるんぢゃないか、って気がするのだ。
しかし、それだと、手をつけるのが圧倒的に遅いし、手入れの絶対量が少なすぎて、満足いくやうにはとても片付かない。

(全部自戒です)
勉強なんて8割まで環境だぜ。



親父はこの、環境を整へる投資、といふ意識が全く無かったので、ウチは酷いものだった。

自分は恐らく発達障害的な特殊能力のおかげで地方紙の実質編集主幹みたいなところまでいけてしまったから、考へたこともなかったんだらうけど、正直勘弁して欲しかった。
父親が厳しさ受け持つことを放棄する様を見てると、ホント発狂しさうになるんだけど、解る人には解るかしら?
厳しさといふのは炎のやうなもので、強すぎると燒かれてしまふけど、全く消えてしまふと暗闇の中を彷徨ふことになる。
自分でその火を起こさねばならないといふのは、はっきり一つの不幸である。

知識を火に喩へた古の人は、さういふ事がよく見えてゐたんだらうな。