なんとなくブログを始めてみる

タイトルどおり。
手前日記というものはつけないので、この場所がはじめてということになる。日記のメディアとしてなぜブログという形式を選ぶのかというと、はて、なぜかしら。

ひとつ、自分の部屋の外に記録されるということ。
これで何が保障されるかというと、公開されるメディアを選ぶことで、媒体として標準語を用いることにいくぶん妥当性が生まれる。なぜこんなことを気にするのかというと、手前、標準語というものがどうも完全にプライベートなモードの媒体としてどうも馴染む様には思われず、しかしそれなら育った土地の言葉が自分の言葉かといえば、少年時の引越し以来の不適応のせいでそれすら完全な定着には失敗してあちこち穴だらけであり、自分と言葉との距離が近づかない虚しさがあるわけで、しかし自分の書く言葉に社会的責任を抱く業種を目指している今、言葉に対する感覚を深めるために、言葉を使った内省の場を持つことは是非とも必要なのであって、じゃあ一体どうしたら一番いいかと考えると、半ばプライヴェートな内容を半ばパブリックなメディアで流通性の名目の下に標準語を半強制して表現するぐらいが落としどころであろう。そういえば幼稚園児のころから活字に慣れ親しんできた自分にとっては、いわゆる標準語メディアだけが人生を通じて継続されてきたものであって、とすると自分にとっての標準語のドメインである半パブリックな世界だけが手前の連続を担保しているということでもあるかもしれない。

ほとんどサイコパスの文章だが、見慣れたスタイルの拒否と、解決していないものを解決しているかのように見せることが出来る言語特有の欺瞞をなるたけ回避したいという言い訳をなんとなく付け加えておこう。