自己の中心は空洞である

とは、先のエントリーのとは別の文章で福田が言っていたことだが、私は賛成である。
何が嫌って、酒飲みの心性の構成要素に、「本当の自分」という観念があると感じるからである。酒を飲んで「本性」「正体」あらわした、とかいう、あの言い方である。個人の、というよりはある種の社会的通念と言ったほうがいいのだろうか。
普通に考えれば、アルコールの摂取によって脳の機能は一部抑制されるのだから、酒でハイになったとして、そこにあるのは本当の自分どころか、抑制された自分でしかないはずである。ぐでんぐでんになって、まだどこか自分というものが見つからず首を傾げているような人というのは、いい加減気づかないものなのだろうか。
酒によって取り払われるのは、普段作用している社会的な心理的抑制なのではなくて、そういう抑制を司る脳部位の働きそのものでしかない。酒を飲んで本性が、なんて、胃を取ったら胃がんが治る、と言っているのと何も変わらない。
しかもそれを正義として疑わず、他人にまで押し付けたりする。

「酒は人生の友」という言い方は、そもそも、はたしてこういう人たちの言い分を指していう言葉だったんだろうか?どうも違うんではないかという気がする。