「通奏低音」

 「〜が、かれの作品の全体に流れる通奏低音であった」みたいな言い方がたまにあるが、変な言い方である。
 通奏低音というのは、basso continuo の訳で、西洋音楽、主にバロック音楽で、オルガンやヴィオローネなどの楽器が受け持つ、低音伴奏部のことである。また通王低音というのは、合奏におけるひとつのパートのことで、特定のノートを指す言葉ではない。上記のような言い方の場合、「根底にいつでも同じ idea がある」という意味だと思うが、それを音楽用語でたとえるなら、ドローン、持続低音でなくてはなるまい。通奏低音は、伴奏であるとはいえひとつのライン、常に変化し続ける動きのことであり、むしろ全体の変化を導いていく役割をすら持つものである。
 そういうラインのことではなくて、繰り返される主題のことが言いたいなら、パッサカリアにおけるバッソ・オスティナート、ground bass とか、もっとさかのぼって cantus firumus 定旋律とか。
 「全体に対する基準点」ということで言うなら、キーノートでもトニックでもいい。

 とにかく、通奏低音とか continuo とかいう言葉に慣れ親しんだ者にしてみると、この言葉は、常に特定の音色とかそれらの組み合わせ、それらの選択ということが連想れるので、上記の使い方をみると、凄く違和感を覚える。