カマキリの共喰い

昨日のこと、湖山池のほとりを歩いていて、カマキリの共喰いのシーンに出くわした。交尾の後に、雌が雄を栄養分にしてしまうというアレである。話は聞いて知っていたけど、実際に見たのは初めてだ。
生命というのは、凄まじい。自分にゃとても無理ですね。
しかし、そのように自分の命の使い方が予め定められていて、その通りに使い切る事が出来るというのは、ある意味仕合わせであるのかも知れない。
最近この「命の使い方」という考えが気に入っている。「これが自分の生き方」という言い方をしてしまうと、開き直りを許容する余地が残ってしまうが、「使い方」という言い方をすれば、「使う」ということの積極性と資源の有限性の前で、今ここにいる自分の姿が余さず曝け出されて、内面との対話を余儀なくされる。