読んだ本

図書館にて。

神々の山嶺(上) (集英社文庫)

神々の山嶺(上) (集英社文庫)

夢枕獏の奇想家列伝 (文春新書)

夢枕獏の奇想家列伝 (文春新書)

しばらく本を読めなくて、暇ができたら案の定、結構な勢いで読み出してしまう。
神々の山嶺』は、すでに漫画版を読んでたが、何となく借りてきて読み始めたら、面白くて4日ぐらいで全部読んでしまった。普段、小説とかフィクションの類は全く読まないんだけど。漫画で読んでるにも関わらず、それとは幾分違った映像が次々と頭のなかに浮かんで、新鮮であった。この著者原作の漫画は『餓狼伝』『黒筭』と読んでいて、なるほど漫画化されるのも頷けると思ったのであった。
この人の本を他にも読みたくなったわけであるが、長編ばかりでやたらに時間が取られてしまいそうなので、自制して『奇想家列伝』でお茶を濁そうと思うものの、余計にいろいろ読みたくなってしまって困る。(結局続けて『涅槃の王』を借りてきてしまった。)
本書では、阿倍仲麻呂のエピソードにかなり心を揺さぶられてしまった。故郷に帰り着くこと叶わず、唐の地で、まるで夢の世界に過ごすような体験を生きた人。帰れない、という話に、どうも私は弱いらしい。読みながら、白川静「狂字論」で読んだ、『楚辞』「離騒」の屈原天路歴程の話を憶い出した。
本書では他に、河口慧海の章にある小さなカイラスの写真が、やけに美しく見え、一度は行ってみたいと思い始めてしまった。

語学はやり直せる! (角川oneテーマ21)

語学はやり直せる! (角川oneテーマ21)

古本屋にて。買ったのが私なら、おそらく売ったのも私。同じ本を二度買ったことになるわけだが・・・・・・まだ置いてあるなぁ、と思って手にとって読んでみたら、やっぱり面白かったのでした・・・・・・
黒田先生(とまるで面識があるかの樣に勝手に敬称を付けて呼ぶ)の本は、何冊か読んだが、はてどれぐらいかな、憶い出してみると、これの他に、
羊皮紙に眠る文字たち―スラヴ言語文化入門

羊皮紙に眠る文字たち―スラヴ言語文化入門

外国語の水曜日―学習法としての言語学入門

外国語の水曜日―学習法としての言語学入門

はじめての言語学 (講談社現代新書)

はじめての言語学 (講談社現代新書)

は読んでいて、あと
その他の外国語―役に立たない語学のはなし

その他の外国語―役に立たない語学のはなし

は、読んだような気もするし・・・・・・みたいな感じ。なんか、もっと沢山読んでたようなのは、気のせいかしらね・・・・・・

                                                                                              • -

『バウッダ』は現在、第二章、阿含経の成立の途中まで。中々進みませんが、まぁいいや、じっくり時間かけて読もう。
この本を読んでみる楽しさというのは、これまで何となく知ってた仏教の空々しさとか、手塚治虫の『ブッダ』を面白いと思うものの、自分の知っている(殆ど知らない)仏教とはどんな関係があるのか、いまいち繋がらない感じ、そういったものの原因について、文献学的観点から明快な示唆をあたえてくれるところにある、と感じる。
この感じは、今年に入ってから読んだ井筒俊彦の『イスラーム生誕』等を読むのと同種の楽しみで、まだ読んだことのない中村元という名前に、予感的に期待していた正にそのもので、ある満足感を感じながら読み進めている(ただし本書は殆どが三枝氏の文章ではあるが)。井筒著で面白かったのは、今まで、キリスト教に対していまいちどのような理解をすれば良いのかわからなかったところに、イスラームの歴史を前史から説き起こすことで、キリスト教にあるセム的な側面(レクイエム、Dies Irae などに現れる怒れる神とか)をうまく浮き上がらせてくれたことであった。要するにキリスト教にはキメラ的とでも言いたくなるような雑多な要素の奇妙な混淆があるのを、部外者なりにというか部外者ゆえにというか、感じていたところに、上手く分析的考察のための手がかりを得て、認識の解像度が高くなることで得られた快感である。『バウッダ』でも、いわゆる仏教に対して部外者が感じる分かりにくさに、十分な説得力を以て、そうした光を当ててくれるものを感じているわけである。

小西甚一『古文の読解』はちょっと読んだだけで止まっていて、ほぼ同時に手を付け始めた同著者の『日本文学史』のほうが、どんどん進んでいる。