CD WALKMAN など。メモ。

 最近、D-EJ985からSRS-Z1を鳴らすのが、何故か無性に楽しくなってしまって、暇さえあればいろいろかけて聞いている。
 なんかねー、空気感の楽しさというものをようやく取り戻したことを、耳が嬉しがっているような、とでもいうのかな。この数ヶ月、しばらくヘッドホンとか揺れすぎバスとかで、如何に自分の耳と精神をいじめてしまっていたのか、てことでもあるのかな、多分。
 因みにNE1はヘッドホンで聴いていい音だなぁ、と感心していたが、光出力からU55SX > SRS-Z1と繋いでみたら、空気感という点では結構悲惨であった。

  • 良さを再認識したやつ。

筆頭はこちら。

ライブ・イン・ウィーン

ライブ・イン・ウィーン

んー、やっぱり絶品ですワ、これは。ピアソラも、USBからはちっとも楽しめなくなっていたもの。もう見事に、一曲として楽しめるものがない、という極端な状態だった。ダンス音楽から時間を奪うと、どうにも食えなくなっちまうという好例か。ピアソラは、殆どが車の中でD-E990ライン出力でばかりかけてたから、ピアソラに感じ入れたのは、時間軸のまともなE990のお陰だったのかもしれない。
モーツァルト: 交響曲第38番ニ長調「プラハ」/交響曲第39番

モーツァルト: 交響曲第38番ニ長調「プラハ」/交響曲第39番

アレグロ楽章の疾走感が何より魅力で、やっぱりいいなぁと再確認したが、それよりも時間軸の重要性を如実に感じさせられるのは、アダージョ楽章であった。ゆっくりしたテンポでも時間軸が安定してると、緊張感が持続している感じがきちんと残って、全くダレることがない。その辺はこいつでも、改めて確認。四番の弱音器つけるアダージョ、やっぱり素晴らしいね。三番の第1楽章のコーダ前の移行部、やっぱり自分にとっての一番深い音楽。

  • こんなに良かったの?

ザ・ケルン・コンサート

ザ・ケルン・コンサート

ジャレットは、著書を読んでからクラシック関係の
バッハ:ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロのためのソナタ
"モーツァルト : ピアノ協奏曲第23,27,21番"
ブリッジ・オブ・ライト
で楽しませて貰ってたけど、ピアノ一発のインプロものではイマイチぐっと来なかったんだが、今聴いてみるとやけに良い。これまでの再生環境が貧弱過ぎたのかな?DACにSE-U55SX通してベルデンのケーブルで繋いで、振幅軸も大分改善してるのも大きいが、EJ985単体でもE990より光の音質が良くなってるし、車でラインからFMで飛ばしても、十分満喫出来ている。

  • 逆に「もう少し…」てヤツ

上記の如く、空気感という点では殆ど問題はないのだけれど、D-E990に比べると音楽的時間展開の表現が僅かだが劣る、というのも偽らざる印象。例えばこの辺。いずれも、ちょっと極端に時間精度に敏感な音源といえば、そうかもしれない。

ブラームス : 交響曲 第4番 ホ短調 作品98

ブラームス : 交響曲 第4番 ホ短調 作品98

Book of Ways

Book of Ways

後者、特に第11曲を初めてD-E990で聞いた頃は、なんとしても耳が離せなくなってしまうくらい、強烈な吸引力を感じて聞き入っていたが、D-EJ985ではそれほどではない…というかむしろ少しダルく聞こえてしまう。
(この演奏の吸引力が振幅軸ではなく時間軸精度に大きく左右されるというのは、いまPCからRATOC RAL-2496HA1から聞いてみて、はっきりと確信している。この音源の他にも、時間展開の表現が時間軸に左右されてしまいやすいものは、高度に対位法的な音楽に多い、というのが、これまでずっと感じてきているところ。時間軸精度のもたらす影響のうち、「空気感」という音響感覚的な部分の他に、それとは次元を異にする、音楽感覚的な部分での「多声音楽の説得力」というのが、自分の場合重要な判断基準であると感じている。こちらの方は、スピーカーから音を出さなくても、ヘッドホンでもはっきりと感じることが出来る。これについてはそのうち別個に記事にしたい。)