音楽と時間。

 CD WALKMANとかRAL-HUB02とかいろいろ比較してて最近感じているのは、時間軸比較に使う音楽ソフトって、自分にとって深刻なほど意味のあるものを使わないと、あんまり意味がない、ということで。
 それはどういう方向の深さでも構わなくて、例えば自分の場合ブラームス : 交響曲 第4番 ホ短調 作品98の演奏の有無を言わさぬ推進力や迫力、ヌミノースの感じだとか、UTAUの「Antinomy」でのとことんズンドコまで沈まされる感じだとか…。
 自分にとってそれほど重要でないものでは殆ど気にならない程度の揺れ感でも、上記のようなもので起こると、ただ「はぁ、良い曲ですね」ぐらいの感想しか持たなくなってしまって、その予定外の感じ、肩すかしを食らうような感じの、納得のいかなさ、自分自身にたいする疎外感というのは、どうにも表現しがたいものがある。確かにそこにいたはずの自分が、いなかったことにされてしまったかの様な、とでも言えばいいのか…。


 まぁそこまででなくても、例えば↓こういう弾き語りなんかも、僅かな揺れによってニュアンスがすっかり無くなってしまうらしい。

 弾き語りというのは、複数人によるアンサンブルのズレとして希釈されてしまわない音楽の状態がそのまま一人の人間の体に滲み出ているとも言える、いわばアンサンブルの理想型でもあるわけで、僅かな揺れの影響で生命感が失われるのも、良く分かる気もする。
 今まですっかり書き忘れていたけど、このシリーズは全部WAVでダウンロードしてCD-RWに入れて、CD WLAKMANの時間軸チェックのリファレンスとして使っている。音質としては、12kHz以上がまるまるカットされてたり等、ピュアオーディオ的に言えば話にならないようなもので、却ってそのために時間軸だけのチェックには良いのかもしれない。