読書メモ。''The Shock Doctrine''

The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism

The Shock Doctrine: The Rise of Disaster Capitalism


(2011/05/15 13:08)

Just as ecosystems self-regulate, keeping themselves in balance, the market, left to its own devices, would create just the right number of products at precisely the right prices, produced by workers at just the right wages to buy those products - an Eden of plentiful employment, boundless creativity and zero inflation.
p.61

シカゴ学派についてのこの解説を読んでいると、どうしてもこの人を憶い出す。

漢字が日本語をほろぼす (角川SSC新書)

漢字が日本語をほろぼす (角川SSC新書)

なんか、そっくりなんじゃないか、と。
異なっているのは、以下の部分。

The challenge for Friedman and his colleagues was how to prove that a real-world market could live up to their rapturous imaginings. Friedman always prided himself on approaching economics as a science as hard and rigorous as physics or chemistry. But hard scientists could point to the behavior of the elements to prove their theories. Friedman could not point to any living economy that proved that if all ''distortions'' were stripped away, what would be left would be a society in perfect health and bounteous, since no country in the world met the criteria for perfect laissez-faire. Unable to test their theories in central banks ministries of trade, Friedman and his colleagues had to settle for elaborate and ingenious mathematical equations and computer models mapped out in the basement workshops of the social sciences building.
p.61

この辺りを比べると、田中の問題設定の珍妙さが、かえって浮かび上がってくると思うが、また暇があったらじっくり考えてみよう。



(2011-04-25 09:31 )
届いて。とりあえずintroductionだけ読んでみた。
 私なんかが解説するより、本人へのインタビューの方が遙かに一般的にはわかりやすいので、目にされた方はこちらなどご参照あれ。

第九話 その名は『ショックドクトリン』 〜ナオミ・クライン著〜 第六弾 文字起こし編 其の一 /アネゴレンジャー
http://blog.goo.ne.jp/anegoranger/e/3265d1501885d8b90ee2b5a5327e3c8b

 とても面白そうな本で、翻訳は25の言語でなされているらしいのに、どうして日本語訳がないのか、訝しんでいる。検索していたら、「権利だけ買って、政治的目的のためにそのまま訳出せずにいるんじゃないか」と言うことを控えめに言っていた人がいて、十分あり得ることと思う。何せ、日本でも早速こんなありさまである。

【正論】政策研究大学院大学教授・大田弘子 日本の類いまれな財産を生かせ 2011.4.15
http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/110415/dst11041503190006-n1.htm

正論というならば、↓が本当の正論というもの。
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-10863033229.html

(動画7:10あたりから)
平時においては議論で何とかなりますけど、こういった時になると、
ある意味ビジョンを持って、大きく世の中を変えていくチャンス、って、そこまでは正しいんですが、それをみんなが求めているが故にですね、
そういう安易な、ショックドクトリンに飛びつく可能性が出てくる。
とりわけ今回のケースみたいに、なかなかもたついていると。今は、東北の人たちは辛抱強いと、がんばってると、仰います、その通りだと思いますが、
人間ですね、2ヶ月も3ヶ月もほったらかしにされてたら、もう限界が来る、と、いつかの段階で、いい加減にしろ、と、いったあたりから、
「では私はこんな案があります、私はこんな妙案があります」
って、絶対出てきますよ、いやもう出てきてるわけですね。
そこのタイミングというのが非常に怖い、という風に思うわけですね。

ちょっと本文より引用しておく。

The ''softening-up'' stage is to provoke a kind of hurricane in the mind: prisoners are so regressed and afraid that they can no longer think rationally or protect their own interests. It is in that state of shock that most prisoners give their interrogators whatever they want --information, confessions, a renunciation of former beliefs. One CIA manual provides a particularly succinct explanation: ''There is an interval --which may be extremely brief-- of suspendid animation, a kind of psychological shock or paralysis. It is caused by atraumatic or sub-traumatic experience which explodes, as it were, the world that is familiar to the subject as well as his image of himself within that world. ...''
p.19
(拙訳)
この「抵抗力を弱める」という段階では、心の中にある種のハリケーンを巻き起こす。囚人たちはあまりに退行し恐怖しているため、もはや合理的に考えたり、自分の利益を守ろうと行動することができない。尋問官の望むもの─情報、懺悔、信条の放棄─を、ほとんどの囚人が、差し出してしまうのは、こうしたショック状態においてなのである。あるCIAのマニュアルが、実に簡潔に説明している。「仮死状態、つまりある種の精神的なショックもしくは麻痺状態の期間──極々短いものかもしれないが──が生じる。この状態は、自分に親しみのある世界、その世界における自己像を破壊するような、トラウマもしくはそれに準ずる経験によって、引き起こされる。…(略)」


以下、自分用のメモ。
 フリードマン式の原理主義的な極端な市場経済は、普通の社会ではとうてい受け入れられない(…医療や教育など高度に公的な分野ですら営利企業に任そう、てんだから当たり前だ…)、かといって、社会主義のような革命や共産圏みたいな粛正みたいなことは表だってはできない(…あくまでも建前は自由主義だから…)。
 そこで、市場原理主義者たちは、自らの手を汚さずそれが可能な事態…たとえば独裁体制の崩壊だとか(イラクの場合など)、壊滅的な自然災害(ルイジアナのハリケーンカトリーナなどの場合)などの際の社会の麻痺状態を虎視眈々と狙い、いざその状況が出来したならば、コミュニティの機能が回復始めるまでの期間に、可能な限り迅速に行動し、その極端な設計思想を実現していく、と。(著者によるとその期間は大体災害発生後6〜9ヶ月以内なんだとか)イラクの場合、軍産複合体よりもスケールの大きな、災害資本主義複合体とでも呼ぶべき構造や、復興産業の巨大市場が出来上がった。
 著者が特に問題視しているらしいことの一つは、これらの改革は、名前は自由市場の形成といいながら、実際には、政府と契約企業とによる人為的な国富の収奪に過ぎない、という点で、これを著者はcorporatismと名付けている。
 また著者は、こうしたcorporatismの手法の雛型は、今では公には認められていない、拷問の手法にある、と指摘している。