ファミレスにて。

接続料のかかるWWANを近頃は余り使わないようにしていたが、自宅のルータ(たぶん)不調のために仕方なく使ったら当然のことながらあっという間に満額までいって、もーいいやってことで持ち出して、某所に物品を取りに行った帰りにつないでいる。


これを聞きつつ。

 インマゼールの演奏はどれも、ちょっと神経症的な我慢できなさが所々にあって、愛好して聞くと言うほどでもない。
 この版は、モーツァルト在世当時のモデルのピアノフォルテによる演奏。久々に聞いてみると結構いい。
 てかT51&EW9、グッジョブですな。
 昔のピアノフォルテは音がスカスカで、それでベートーヴェンも左手の和音を厚くしていた、とか言われる。
 狂信的にピリオド楽器演奏を擁護するような者でもないけど、しかしピアノが現代の楽器に向かって「常に進歩してきた」という考えに不備があることは、この演奏からも理解することが出来る。
 大体モーツァルトは、世にも珍しい「ファゴット協奏曲」や、「バセットホルンディベルティメント」、当時としては最新の楽器であったにもかかわらず未だに並ぶもののない「クラリネット協奏曲」「同五重奏曲」、珍しいところではグラスハープのための作品など、その他諸々、楽器の特性が音楽の中でいかに活きるのかということについて、とんでもない直観力でもってこれらの曲を書き上げてしまうような人なので、いかに現代のものと比べて「スカスカ」の音のピアノフォルテであっても、十分にその美質と可能性を汲み尽くした作曲・演奏をしていたことは、この演奏からも十分聞き取ることが出来る。
 しかしまた面白いのは、発音の軽やかさとか、しつこくない和音のニュアンスだとか、音質的な面で、グルダのこの演奏
モーツァルト : ピアノ・ソナタ 第17番 ニ長調 K.576

モーツァルト : ピアノ・ソナタ 第17番 ニ長調 K.576

と、驚くほど類似しているということである。
 グルダフォルテピアノについてどれぐらい研究していたのかは知らないが、グルダの演奏の非常に説得力のあるのは、この辺の音色的なプロデュースの適切さ=モーツァルトの耳の直観力のシミュレーションの的確さに由来するのかも、なんて思ったりする。