フーガあれこれ(雑想)(ツイート)

なんかふとバッハのフーガを思い出し


以前にゴールドベルクの最後の変奏を弦四の楽譜に書き下してアンサンブルで使ったことがあるのだが、どうもすっきりしないと思ってたら途中でラインのつなげ間違いがあったのに気づいて、パートを振りなおして改めて四人で弾かせてみると全く曲の統一感が変わったということがあった。

六声のリチェルカーレを楽譜ソフトに起こして各ラインを確かめてたとき、めぼしい動きをしてないラインをひとつ省いて再生すると何となく雰囲気のある曲にはなるもののどうにもつまらなくなり、省いていたラインを戻して再生してみると、非常にバランスが取れて過不足なく充実した響きになるったり。


ああいう、それぞれのラインに思考の流れがありつつ、全体の不可欠の一部でもある、そういう構造を紡ぎ出す時の頭ってのはどういうものなんだろうかという。
一つのラインが一つの思考の流れとして感じられること自体が、和声的な連想の裏付けを持っていたりするのかな、とかなんとか。
対位法といえばそれはそれで確かに一つの技法ではあるのだけど、バッハのフーガみたいなあいう見事さってのは、理屈の面だけでなくてそういう和声的な連想を誤りなく捉える直感というものを想像させるようなところがやっぱりある。