読書メモConstructing a Language: A Usage-Based Theory of Language Acquisition

Constructing a Language: A Usage-Based Theory of Language Acquisition

Constructing a Language: A Usage-Based Theory of Language Acquisition

(4/27)
導入の第一章だけ読了。
ポイントとしては、

  • ヒトという生物種に特有の能力として、言語能力がある。ところで、もう一つヒトに特有のものがある。それは、他者の意図を読むという認知機能である。両者の間には、つながりがあるはずである。

といったところ、でいいのだろうか。
この導入の章、Chomsky に始まる普遍文法理論に対する疑義を提示していて、面白い。文法-核と語彙-周辺という二分方って本当に有効なの、などなど。特に気になったのが、著者が特に重要視する intention reading などの機能は、チョムスキー生成文法には含まれていない、という指摘で、そういえば、生成文法が、人間の認知機能をどのようなものして前提としているのか、とか、その辺はよく知らなかったな、と気づいた。素人の読書なんか、やっぱりいい加減なもんだなぁ・・・・・・。
普遍文法側による行動主義批判として、学習行動に参与する認知機能として、連想と帰納だけを想定しても、言語能力は説明できない、というのがよく知られたものであるが、それなら、ということで仮定されたのが、普遍文法というもの。しかしそこで、著者らの usage based theory では、この普遍文法理論も、人間の一般的な学習に参与する主な認知機能を連想と帰納などよく知られたものに限定して立論しており、ヒトとその他の生物種とを明確に区別するものとして厳然として存在しているintention reading などの認知機能は考慮に入れていない、という点で、行動主義と変わるところがない、という具合で批判する。
こうした点を考慮に入れる事で、生成文法で未解決の問題点、たとえば言語のあまりに豊かな多様性、などが解決される、というかそもそも、そういうことが問題として浮かび上がってこない、というのが著者の主張。
では具体的にどうなってンのさ、てのが大体本書の内容のようで。

                                                                                      • -

言語能力とその他の一般的な認知機能との関わりというのは、生成文法みたいな考え方に触れると、当然出てくる疑問点で、ずっと気にはなっていたこと。というのは、言語活動には様々な一般的な機能、たとえばシンボル化だとかメタファーだとかが参与していて、そうした様々な側面の中から、独立した「言語能力」というのを切り分ける事が、果たして可能なのか、もちろん、計算処理的な抽象的な記号操作が関与しているのは疑いがないが、それをにしたって、その他非言語的な記号処理、一般的な数学的演算能力などとの関わりはどうなっているのが、といった類の事。
著者が『心とことばの起源を探る』でも触れているように、進化のスピードというものを考えると、生成文法よりも著者らの考えの方が、うまく行くんではないの、とか思えてくる。つまり、猿から進化してヒトに枝分かれする、その進化論的スケールでみた時間の短さを考えると、ある時突然発生した心理機能としては、普遍文法は複雑にすぎるのではないか、といったような疑問である。こういうのも、普遍文法とかについて具体的に想像してみると、自然と出てくる疑問である。


こんな具合で、今までぼんやり考えて来た事にたいして結構ヒントが得られそうなので、なかなか良い買い物だったのではないかという予感がしている。ちょっと腰を入れて取り組んでみよう。

                                                                      • -

途中、「チョムスキー」を「ちょむすき」までで誤って変換してしまったら、漢字で「緒無隙」と出てきて、何か笑ってしまった。

                                                                      • -

生成文法は、社会言語学の方では結構不人気で、て言っても卒論でその手のものを読んでたのがもう四年も前になるんだが、たとえばこの辺

クレオール語 (文庫クセジュ)

クレオール語 (文庫クセジュ)

Towards an Ecology of World Languages

Towards an Ecology of World Languages

何かで、批判してたはず。
前者は、フランス語系のいわゆるクレオールは、混合言語というより、せいぜいフランス語系の一言語といったぐらいの隔たりしかなく、ハワイのような例はむしろ稀である、みたいな内容だったはず。要するに、話者たちの言語能力の自由な発露ではなく、基になったモデルを、かなりはっきりと特定できる、という話。

                                                                      • -

生成文法を支持する有力な議論としては、そういえば手話がよく引き合いに出されるのを思い出した。その辺はどうなってるのかも、気をつけて読もう。

                                                                      • -

(4/29)
第2章
言語のシンボル性。ヒトとサルのコミュニケーションの重要な違いのひとつが、dyadic、つまり2者間での直接的な関与行為なのか、 triadic、つまり第3者を指示する機能を持つのか、という点。triadicなシンボル操作は、前提として相手の注意を他者に向けさせるという心理機能が必用、と。
言語の文法性。文法的な構造化は、普遍文法を想定しなくても、シンボル操作に必用とされるような心理機能さえあれば、発話の実例から抽出して、構築が可能である。これがいわゆる「文法化」。文法化を端的に言うと、
Today's morphology is yesterday's syntax.
Today's syntax is yesterday's discourse.
と。
使用頻度の非常に高い単語や、その結合体であるフレーズは、自動化され、効率化のために短縮されやすい。
使用頻度の高い語は短くなるのが一般的。(千野栄一『外国語上達法』で、「一音節の単語は頻出なので、まず憶えてしまおう」みたいに言ってたのを思い出した。)
また、頻度の低いものほど活用などが規則的であるのは、不規則な形態を記憶するのに十分な接触を得られず、パターン発見の認知機能が優先して発揮されるため。

高頻度の語ほど短くて不規則、頻度が低いほど変化が規則的、てのは、どんな言語にも当てはまる法則、という気がする。

                                                                      • -

様々な言語に共通する「言語らしさ」は、参与してる心理機能と身体器官が共通するために生まれる。言語が持つ多様性は、参照するdiscourseがそれぞれ恣意的に異なるために生まれる。

思い出すのは、SVOといった主要素の配置は、3×2×1の6通りあるが、そのうちOVSというのは極端に珍しい、という話。これも、シンボル操作その他の認知機能による説明が可能なのだろうか。
SVOなどで検索してみたら、Wikipediaにあった。それぞれの語順に生じやすい特徴がある、というのは面白い。
クリンゴン星人は、OVS語順で話すらしい。それは知らんかったわ(笑)。そうだったのか、ウォーフ・・・