「定義」の話。

とあるやり取り。
めんどくさくなって途中で投げ出したんだけど。


あほくさいなあ。「主語」という言葉の定義を互いに了承してから話し始めないと噛みあう訳がない。 / “日本語の主語についてよしこの芽@yoshikonomeと安冨先生@anminteiとの会話 - Togetter” http://htn.to/uesfFJ
posted at 23:30:30

RT @anmintei: ご心配なく。生産的な議論ができましたから。「定義」というものがそもそも「主語」と同じくらい、無意味なのです。RT @altocicada あほくさいなあ。「主語」という言葉の定義を互いに了承してから話し始めないと噛みあう訳がない。 ” http://htn.to/uesfFJ

そうですよね。後の考えでは話し始める前に寿命がつきそうだ。RT @anmintei 「定義」というものがそもそも「主語」と同じくらい、無意味なのです。RT @altocicada 言葉の定義を互いに了承してから話し始めないと噛みあう訳がない。



「定義する」ということを「言葉の本質を突き詰める」ということだとすれば正に仰る通りと思いますが、ここでは私は、用語の「適用範囲を限定する」という意味で「定義」という言葉を使っていますが、それでも無意味でしょうか? RT @saintarrow: RT @anmintei

私の考えでは「定義」は無理と思います。互いに相手の定義を知ろうと思えばこのような確認が自然に成されるので議論が可能だと思います。定義を予め固定する行為は互いの理解を深めないと考えます。安富教授の考えは不明RT @altocicada それでも無意味でしょうか?



うーん、やっぱりよく解りません…。私のtwに頂いたお返事という文脈を考慮すると、「定義」は無理、とは、「「主語」という用語の適用範囲を限定すること」が無理、ということでしょうか? RT @saintarrow: 「定義」は無理

これは全ての言葉を定義(両者の間で言葉の意味を同一にする、してから議論する)は無理の意味です、用語の適用範囲でも同じ、それらは議論の中身でもあるので議論しながら理解し合う物だと思います。互いにし合うです、どちらかに合わせろでは無いRT @altocicada 「定義」は無理とは


また、私は「定義」という言葉を原語であるdefinitionの「境界を定める」という含意で使っていますが、saintarrowさんはまた別様に「定義」という語を使われているのが、やり取りの中で分って来て、 RT @saintarrow:

これがおっしゃることの具体的な実例になるかと思いますが、この場合でも、予めそれぞれの「定義」という用語の含意を互いに言明してから話を始めていたほうが話は早かったのではないでしょうか。 RT @saintarrow:

似たような事は常に起きます。予測していない場面でも話がその様に変わることもあります。だから、境界線は互いに確認しあいながら話をする事が通常だと思いますRT @altocicada 「定義」という用語の含意を互いに言明してから話を始めていたほうが話は早かったのではないでしょうか。

そもそも何らかの事態を記述しようとするとき、「これをこういうふうに解釈するならば、これこれこういうふうに言える」以上のことはそもそも出来ない。

用語を定義せずに話しているうちに明らかになってくる、というのも分からないでもないが、それはあくまで一般的に語の含意が概ね絞られ、解釈の幅が根本義を共有している場合に限られるのであって、

「主語」という用語の場合、「主体」「主題」「文型上の定位置」という、それぞれ互いに関係が希薄な概念が含意されているわけで、議論が合意に至るまでに相当の苦労を要するように思える。

おまけ

RT @sayori27: @altocicada 言語定義が取り散らかっていて、情報操作に左右されやすい人をB層と呼ぶ。ラベルを貼り替えられると砂糖を塩だと思う人々である。

posted at 14:50:25