「国民国家」っていうのが未だによく分からん。 (ツイートまとめ

国民国家」っていうのが未だによく分からん。 これによって含意されている対象のことではなくて、この言葉のつくりが。
2013-03-29 16:15:52 via web
stateを「政府」ではなくて特に「国家」と訳す場合、既にnationの含みか入っているような気がするのよな。
小西甚一『基本古語辞典』の定義の一つに、「一つの秩序下の世界」という。「お伽のくに」とか「夢のくに」とかの使い方。
漢字の「国コク」はまた別のものだろうが、この用法のイメージが強いので「国」の字にもそれを読み取ってしまう。


行政的には「国」も「都道府県」や「市町村」と同じカテゴリーの行政範囲を表すに過ぎないのに、なぜか「国」だけは、「均質な文化的特質をもった単位」という含意があるのはなぜなのか。
どちらかと言えば下位の方の「市町村」が、これらの中でもっとも文化的に均質でありがちで、最上位の「国」なんてのはもっとも抽象的であろうに。


今ひとつ気付いたが、「国」の字が、もっとも訓読み=大和言葉読みされる機会が多いんだよな。
そのせいもあるのかしら。
「くに」という大和ことば自体に、先ほどの定義の「一つの秩序下」という含意があるから、「世界にはいろんなくにがあります」なんていうと、行政単位としての国が均質な特色を持つと連想されてしまうのかな。
「国」の字は、行政の用語としては「コク 」と音読みにしてみるとどうなるだろう。


「町(まち)」「村(むら)」も同様に訓読みもされる行政単位だが、いずれも「くに」ほどに強い生活感情的含意をもたない。
「むら」は「群れ」と語源を同じくするが、今やその含意を当たり前に読み取ることはない。
「まち」は既に語源自体をたどることすらできない。


白川静『字訓』を引いてみたら、「まち」を「みち」と関連づける考え方も出来るそうだ。「街」を当てるのもその含意があるのかも、という。
これはなんとなく腑に落ちる気もする。


「くに」という大和言葉を、最も人為的で抽象的な統合単位であるような行政体の一般呼称として用いるのが、そもそもまずかったのではないか、という気がだんだんしてきた。
ちなみに漢字の「国」は旧字が「國」で、その初字である「或」は、城郭で囲まれた土地を戈で護る、という含意の字。


白川静『字統』より引用。「国」の項目。
〔説文〕六下に「邦[くに]なり」とし、邑部六下に「邦は國なり」と互訓するが、邦は封樹して邦域を示す字、國は国都で武装都市を意味する字であるから、必ずしも道義でない。
金文には四或[こく]・南或[ごく]・内或[こく]など、国の字に或を用い、西周期後期以降に至って王國・下國の用に國を用い、あるいはコク[邑扁に或]につくる。国家は古く邦家といい、王家と邦とは同一のものであった。国都に軍政の中心が移ってから、国家という。


同じく『字訓』で「くに」の項目を引くと、
一定の地域を、そこに営まれる生活と自然の山河とを含めていう。島などが単位になりやすいので、〔記、上〕「大八嶋國[おほやしまくに]」の名がある。?
これは確かに、漢字の「國」とは随分違ったものであるらしい。
2013-03-29 17:31:01 via web
”「くに」とは一定の限られた地域の自然と、そこに住む社会集団の生活態とを合わせていう語である。 ” ともある。


こうして見てみると、「くに」というのは思想的な傾きを持ちやすい言葉であるのはよく分かるな。

日本語以外の言語圏・文化圏でも、こういう「くに」の思想みたいなものがあるのかしら。 ヨーロッパなら「パトリオティズム」というのが近いのかな。