読書メモ『発達障害に気づかない大人たち』

読み始めたら案の定、かなりobsessするところがあり、混乱しかねないので、エントリー一つ設けてメモをとっていくことにする。

発達障害に気づかない大人たち (祥伝社新書 190)

発達障害に気づかない大人たち (祥伝社新書 190)

(4/10)
LDの兄を持つ私のこと、この手の本はもっと早く読んでてもおかしくはなかったのだけど、「〜症」とかの名付けによって生まれる不幸に、散々さらされて来ただけに、その前提の下に議論をするこの手の本は、手を伸ばしたいと思いつつ、敬遠していたのであった。しかし今度、このケのある児童を受け持つことになったので、私の勝手な思い込みや定義付けだけで判断することが危険になりそうな気がしたので、取り敢えずどういう議論がされているのか、ということを把握するには適していそうなので買ってみたのであった。
(4/16)
Amazonに「大人の発達障害を作ってみました」とかいうレビューがある。やたらめったら病名をつければいいってもんじゃない、ていう最近よく医療批判に乗っかったような意見だが、しかし、著者はP.42から、この「発達障害」という名称に異議を唱え、「発達アンバランス症候群」という代替案を提唱しているので、この批判は当たらない。
この部分は、先日も書いたように、このような名付けによる不幸と言うものを認識して生きてきた自分だけに、良い形で予想を裏切ってくれた部分であったが、レビュアー氏は読みとばしでもしたのだろうか。氏は「発達障害について定義することすら放棄している」などとも書いているが、普通に読めばこの部分が著者による定義と考えて差し支えないと思う。
私自身としては、この名称には全面的に賛成である。
(4/20)
著者の考えるところでは、いわゆる発達障害、発達アンバランス症候群に該当する人は、人口全体の1割ぐらいはいる、というのを読んで、以前にこの本
物語 オランダ人 (文春新書)
で読んだ話を思い出した。オランダ国では、教育段階から徹底した個人尊重の立場をとり、企業などでも、病欠の申し出に医師の診断書などいらないし、提出を求めてもいけない、ということ。で、それで社会が目茶苦茶になってしまうかというとそうでもなくて、9割までの人は、やはりまじめに働くのだという。