苦
この人の感覚、やっぱり結構好きである。
- 作者: アルボムッレスマナサーラ,Alubomulle Sumanasara
- 出版社/メーカー: 宝島社
- 発売日: 2007/08
- メディア: 新書
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音楽は楽しいけれど、同じ音を30分聞き続けると苦痛、というのは、その通りだろう。考えるだけでゾッとする。
面白いのは、ここからの話の進め方で、では、30分でこれだけ苦しいなら、1分ではその1/30だけ苦しく、一秒はさらにその1/60だけ苦しい、と。なぜ苦しく感じないか、というと、それは鈍いからである、という。
感覚できるからこそ苦と呼べるのであって、感じないものはそもそも苦と呼ぶことが出来るのか、とかいう疑問はさておき、これは見事なイリュージョンである。こういうことが、言えないと、いけないんですよ、大人は。
また、「ではモーツァルトは?」という問いに対しては、感覚をだますのが巧いだけ、そういうのを世間では天才といったりする、という。
折しも、『真理のことば・咸興のことば』など読んで、煩悩を去った涅槃寂静こそ最大の幸福、って、言いたいことは解るけど・・・・・・、と、通り一遍の感じ方をしていて、モーツァルトやジョビンを知ってしまっている現代の僕らは、どう考えたらいいの、・・・なんて思っていたところで、図らずも明確な回答をいただいた、という感じだろうか。それこそ「お釈迦様の掌の上」、てことでいいんだろうか?
一時期はケッヘル番号を結構憶えてしまうぐらいにはモーツァルトにはまった私であるが、このモーツァルト解釈、結構好きなんだけど、世間的にはどうなんだろうう?
音楽を、「苦である」と定義されること自体、全く抵抗もない。
そこで、では、苦であって何か悪いことがあるの?ていうような考え方は、ずっとしてきたことのような気がする。こういう考えは、スマナサーラさんは、どういうふうに説教してくれるだろう?
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これはまぁ、スマナサーラさんの、ちうよりは原始佛教の考え方か。
「楽」というのは、「苦」が消えること、それ以上のものではない、というのも、異論なし。空腹という苦が消えるのが、楽なのである。
これを読んでて思い出したのが、我が家の犬のこと。10年ほど前の冬の日、兄が欄干の下に捨てられていた小犬を拾って来た。家で食い物を用意してやると、我もなく貪りつくその様を見て、「ああ、生まれてきてしまったのだな」という一抹の哀れさを、当時高校生だった私なんかは、感じていた。変な高校生である。
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この人のことばで他に好きなのは、『希望の仕組み』のほうにあるもので、
「知識なんて気持ち悪いもの。生の肉みたいなもので、とても食えたもんじゃない」
てのがあった。要は、個々の知識は素材でしかないのであって、それを知恵によって煮たり焼いたりして料理して初めて、人さまに提供できるものになる、ということ。
こういわれると、そう、知識ばっかりのやつって、ただ何となく嫌なだけではなくて、はっきりと、気持ち悪いんだよ。そうそう、と、とても得心して読んだ。