ウィンカー

半年も前ではなかったと思うが、ある時、車に乗っていて、T字路の直線方向から右折しようと、少し手前から往来の様子を確認しようとしたときのこと。反対車線を少し遠くから向かってくる車があり、同時に、少し手前に、同方向に走る自転車がある。ちょうどこの先、こちらがT字路に差しかかる辺りで、おそらく自転車と鉢合わせになり、その自転車が横断歩道を渡り終えるのを待つ間に、反対車線を直進してくる自動車と、その後続車が、T字路に追いつく。このままでは私は、右折のタイミングを逃してしまう。
自分の後ろには数台の車、片側一車線の、大して幅の広くない道路で、私が止まると、後方にはしばらく滞りが出来てしまい、それを避けるには、向かってる自転車が、T字路で曲がってくれる以外にはない。しかし自転車に、その様子は見られない。微かな焦りの感情。
そして私は、小さな賭けに出た。車速をあげ少し強引に、その自転車が来ないぎりぎりのタイミングで、自転車にわずかに急停止を強いる様なつもりで、申し訳なく思いつつ、緊張しながら右折を敢行したのである。
すると、その、丁度自分が右折に入ったタイミングで、何事もなかったようにさらりと、その自転車もT字路を折れて、結局何も特段の苦労もなく、私は右折をやりおおせた。
その時、いくぶん拍子抜けした私の脳裏に、「(もう少し、早めに車速を落として、曲がるそぶりでも見せてくれていれば、こんなに緊張することもなかったのに)」といった類の言葉にならぬ不満が生まれたのだが、そこで、その不満を経て私の脳は、どういうわけか、「ウィンカー出せよ!」という、とんちんかんな言葉を生み出したのであった。
頭の中でそうつぶやいた直後、当然、「いやいや、自転車だから」という感じの突っ込みを自分でいれることになったわけだが、しかし同時に、その自転車の様子に、なぜだかわからないが「ウィンカーつけろよ」という言葉がしっくり来るような趣があり、一人で笑ってしまったのであった。
何がどう、ということもよく分からないが、自転車をこいでる人の風貌だとか様子だとか、いろいろなところを後から思い浮かべてみると、こちらをそのような思考に誘うなにものかが、確かにそこにあったのだった。


えーと・・・
現場の面白さは、文章にしても伝わらないなぁ、という話でした。