読書メモ『列島強靱化論』。

第一章と第二章を少しだけ。

列島強靱化論―日本復活5カ年計画 (文春新書)

列島強靱化論―日本復活5カ年計画 (文春新書)

 最近知った言い回しに、「議論の三つのP」というのがあって、つまり、議論には一般的に

  • philosophy
  • paradigm
  • policy

の三つの段階がある、と。
 一番上の philosophy は、最も抽象的なレベルでの議論。政策などにおける具体的な実現形式がどうであれ、必ず実現されるべき理念に関すること。これさえ実現されていてれば、多少不満があっても耐えられる、逆に、どんなに表面上うまくいっているように見えても、これが実現されていなければ何の意味もない、という、根本的な理想についての議論。
 これに基づいて、政策など具体的行動に対する、評価・検討スキームを考えるのが paradigm のレベル。
 最後の policy が、具体的なそれぞれの施策。


 前置きが長いが、これを憶い出したのは、本書の第二章の冒頭を読み出したときである。殆ど端にかかったぐらいでまだ全然具体的な話を読んでいないから、細かい評価は出来ないのだが、この人の考え方には、きちんとこの三つの段階が踏まれているようで、その点で信頼できそう。
 この人の場合の philosophy は、「活力」、「生業」、そこから導かれる一つのパラダイムが「ふるさと再生」など。各所で提案されている政策に関して、こうした philosophy があるのかどうか、またあるとすればどのようなものであるか、ということは、重要な判断基準と言って良いだろう。
 「事実、震災後まもないうちから、津波から何とか生き延びることができた人たちが、あの絶望的な大被害を受けながらも、「生業」を再始動せんと決意する姿が、様々に伝えられてきている。」(pp.70-71)として、報道などからそうした事業再生への決意を報じた記事を紹介し、「ふるさと」の意義を説いた後、著者の言う以下の言葉には、説得力がある。

 ところで、このたびの大震災以降、様々なメディアで、様々な論者が、「復興」に向けた様々な言説を吐き続けている。
(中略)
 例えば典型的な発言は、「これを機にエコタウンをつくろう」とか、「世界最先端のモデル復興地域をつくり上げよう」とか、「農地が破壊されたから、この際、合理的な大規模農場をつくろう」といった類いの発言である。
(中略)
 もちろん、これらの発想に、全く理がない、というわけではない。
 例えば、その地に住む人々や、その地を本当に慮る人々が考えあぐねた帰結として、そういう発想が出てくることは決してあり得ぬ話でもないからだ。
 あるいは、その地で再びかつての「生業」を営み始める人々が、不幸にして全く見当たらなくなり、公的な主体以外にその地の復興を果たす主体が見当たらぬ場合、そうした土地の利用法を検討対象とする可能性は、皆無というわけでは必ずしもないからだ。
 しかし、いかに数多くの犠牲者が出たとはいえ、それぞれの地に残された人々がいることを、先ほどのような発言をされる方々は、気付いていないのではないか、とすら筆者には思えてしまうのだ。