日本語に訳しながら読む。

英文を読む際の内的な訳読は、日本語で理解するためというよりも、日本語での事態の把握の定式化をデコードするために、それを客観化して分析・抽象化して、英語での事態把握に対して脳をオープンにするために行われているのではないか、とかいうメモ。
そういうことを、頭の中でちょくちょくやっている気がする。