歴史的仮名遣ひの言語感覚的な利点など。(ツイートメモ)

5月21日

さういへば折角自作配列フェーズたし假名遣ひ関連で思ひついたことメモしておかう。posted at 01:05:03

歴史的假名遣ひ自分でも使ひ慣れてくると現代仮名遣いがだいたい「歴史的假名遣ひに添へた振り仮名」であると自づと感じられてくるのだが、最近では、漢語を仮名書きしたときに脳内で漢字を補ってるのと同じ感覚で、現代仮名遣いで綴るときに歴史的假名遣ひを脳内で補ってる自分にふと気付くんだね。

なんと共感して頂いてゐた

国語改革関連の話も勿論重要で口うるさく言ひたくなるのも分かるのだけど、自分が実践しつづけてゐる理由は寧ろ主観的なかういふ心地よさであると感じるので、あまり政治的なことには積極的には触れない様にはしてゐます。
それでもついカッとなることもあるけどね。

お酒がだいぶ回ってゐる

げに、げに。
自/他動詞の意識の違ひとかさういった純粋に言語的な感覚に、整然と形を与へてくれる気持ちよさみたいなものが、癖になるのですね。


スミャヒョに舞い戻って現代仮名遣い
歴仮名を続けてると育ってくる感覚に、語中の「い」と「う」の感じ、てのもある。これは大抵、何か別の音節の変化の痕跡。この感覚が頭に残ったまま現代仮名遣いに移行すると、どうもとっちらかったような印象になる。