エネスコの

最近楽器もあまり触れてなくて、久々にこれを聴いてみたら、やっぱり泣きそうになってしまった。

この演奏は、細かい細部のアラが気になるかどうかで、ものすごく感じ方が違ってしまう演奏といえそう。気にならなければ、これほど魂を鷲づかみにされてしまうものも、まれである。
完璧にきれいなタッチの演奏というものも当然すごいんだけど、そもそも描こうとしているものが違いすぎて、そんなことは微塵も気にならないのである、私の場合。ものすごい美肌のそこそこの美人か、多少のはだの荒れなど、むしろ魅力に思わせるほどの、奇跡的な均整のとれた美人か、とかそんな感じだろうか。
録音状態なども含めて、「聴くに堪えない」みたいにいう人もいるが、少なくとも私の場合、そうした疵は認めつつも、初めて聴いたとき、こちらの集中力の限界まで、耳を離すことが出来なかった。寝っ転がって、何もしないで、体中を耳にして聴いていた。
ちょっと分析的にみると、何がすごいと言って、対位法的な緊張感の持続が、バイオリンという楽器の構造を考えると、信じられないような次元にまで達していることである。
複数のラインを協調的に、ということならば、他にも出来る人も珍しくはない。エネスコの場合異常なのは、各ライン間の、そうした強調だけではなく、押し合いへし合いしながら高め合う、その複雑な間のやりとりが、見事に形になって表れていることだろうか。よくぞバイオリンの独奏でこれほどの、と思う一方で、しかしやはり独りでなければこれだけの統一感はあり得まい、至芸の独り芝居、絶品の落語である……とかいうとちょっと怪しくなってくる…。
あと何気に難しいところで、大きなスケールでのラインの表現、たとえば、小説アタマの1音だけでつなげていくラインの起伏だとか、こちらが忘れた頃にとつぜん現れるラインの、後から気づかされる持続だとか、それを、目立ったラインの均整を乱すことなく両立させる、その辺も、完全に曲を我がものにしていないと、到底無理な芸当である。

他に好きなのは、やっぱりこれだな。

後半のジーグの部分、有名なシャコンヌの手前の曲だが、一年ほど前初めて聴いたとき、三拍子とはこういうものだったのか、と、考えを改めさせられた演奏である。3/8拍子の16分音符は6連符とは違うのだ、と、頭では理解していても、これほど明確に疑いもなく示されると、何も解っていなかったと、反省せざるを得ない。
後半の小説頭の16分音符の処理に見事に現れているが、ここでも、対位法的な処理、感覚にとっての時間のコントロールというものが、奇跡的に見事である。
気づけば、楽譜にない、当然実際に音になっていないグラウンドバスを、知らず知らず口ずさんでいる自分がいる。この演奏を聴いていると、何となくではなくて、はっきりと、具体的に、あるべき他声部が、勝手に頭の中に流れ出すのである。