引用メモ:宇沢弘文『ヴェブレン』(読了)

蝉 ΘφΘ スヤァ@altocicada

5月4日
チーズケーキ正義 https://pic.twitter.com/zaUcMLUwCg
posted at 14:34:34
つい要らん子連れてきてしまうので本屋怖い https://pic.twitter.com/4glC8cFDPJ
(因みに別の店で買った奴)


メモ)…すなわち、アダム・スミスが貨幣を特徴づけて「流通の大車輪」あるいは「交換の媒体」といったように、貨幣は、経済学者たちがふつうもっている経済生活にかんする理念との関係で規定されるような機能を「正常な場合には」果たすものであって、 制度的諸条件に関わるものではないとされたのである。
pp.42-43




5月5日
宇沢弘文『ヴェブレン』、第2章を進める。産業と営利の緊張関係、乖離という話が出てくる。
posted at 11:03:29

生産過程の固定性が高まり、一般的なものとなってゆくとともに、機会を中心とする生産過程、労働の社会的分業もますます固定性を高めてゆく。生産を直接担当する労働者、技術者たちのもっている制作者気質の本能と、経営者のもっている利潤追求動機の間に存在する緊張感もまたつよくなり、 ヴェブレンのいう、産業と営利の乖離は決定的なものとなってゆく。
p.68

100年前から考えられてる問題に対する現代日本の答えが、経営者利益の実現をもたらすことが職人的なプライドの目標であり源泉であると洗脳し錯覚させるかの如き社畜メソッドなのであります。



5月6日

メモ)制度学派の考え方をもっと包括的な形で表現したのは、アーロン・ゴードンである。かれは、「現代経済学における制度適用素」(...)のなかで、制度学派の考え方を要約して、つぎのようにいう。

「すべての経済行動は、その経済主体が置かれている制度的諸条件によって規定される。と同時に、どのような経済行動がとられたかによって、制度的諸条件もまた変化する。この、制度的諸条件と経済行動との間に存在する相互関係は、進化のプロセスである。環境の変化にともなって人々の行動が変化し、行動の変化はまた、制度的環境の変化を誘発することになり、経済学に対して、進化論的アプローチが必要となってくる。」

この、進化論的プロセスにおいて、支配的な役割を果たすのは、マシーン・プロセスにもとづく近代的技術と、資本主義的制度のもとにおける利潤追求動機であるが、この二つの動機は往々にして矛盾し、対立的な要素を包含している。市場制度のもとでは、さまざまな経済的利害関係は一般に対立し、古典派の想定するような予定調和は期待できない。これらの利害対立は、多くの輻輳した諸勢力の関係を表現したものであり、しかも、これらの諸関係は、不変ではなく、制度的諸条件、政策的な対応によって大きく影響される。

この、経済学に対する進化論的アプローチは、心理学、社会学法律学文化人類学など関連する分野における成果を効果的に利用しなければならない。ここで、対象としている人間は、社会的、文化的存在であって、経済人という概念をもってしては理解できないからである。
人間は、制度的真実のなかで、機械的な反応しか示さないオートマータではない。
『ヴェブレン』 pp.84-85


5月6日

メモ) 「近代産業社会においては、生産能力は巨大な規模となって、誇示的浪費によって有効需要完全雇用水準まで高めることは不可能に近い」
そこで、市民権の中立性が確立していない国家は、必然的に戦争か植民地を求めて、有効需要の問題を解決せざるを得ないというのがヴェブレンの主張するところであった。
p.107




5月7日

メモ)" ヴェブレンは『帝政ドイツと産業革命』で展開された論法をそのまま、不在所有者制の分析に適用する。そして、不在所有者制のもとにおける近代産業社会では、不在所有者は、その掠奪的目的を達成するために、一般大衆の盲目的服従を、神学的ー形而上学的な根拠にたって、強要する。"

" 不在所有者の金銭的利益の大きさがそのまま、国民の福祉に反映して現れるという、誤謬もはなはだしい論理がここで援用される。不在所有者制はまた、一般的な経済取引について、さまざまな制約をもうける。"

" そして、このような取引制限から、一般大衆の犠牲のもとに発生する利得はすべて、不在所有者の既得権益に帰するとされている。不在所有者制はまた、愛国心の発現を、資本化の増大と混同させている。"



5月8日
メモ)”貨幣も金融資産の一つであって、貨幣保有に対する需要は、その価格と収益性に依存する。貨幣の価格は、金融資産を、貨幣の形ではなく、他の金融資産の形で保有したときに得られる収益、すなわち、市場利子率である。”

”いいかえれば、利子率は流動性を手放すことに対して支払われる対価であるというケインズの定義が導き出されることになる。” p.152



メモ)"ケインズ以前の新古典派理論では、このような非自発的失業はその存在が理論上否定されてきた。(…)しかも、このような失業も、貨幣賃金がなんらかの事情で高すぎる水準に保たれているからであるとされていて、貨幣賃金の引き下げによって解消するものとされていた。"

それに対して、ケインズは、労働の全雇用量を決定するのは、有効需要の大きさであって、貨幣賃金を引き下げたときに、有効需要は逆に低下することもありうる。非自発的失業を減らすためには、有効需要を、直接的、あるいは間接的な手段ふやすような政策がとられなければならないと主張したのであった"




"流動性選好理論との関連で、ケインズはまた、資本主義的な市場経済制度に内在する不安定性要因の存在を強調した。それは、金融資産市場における価格形成が、投機的要因によって大きく左右され、均衡市場価格が実質的価格と乖離するという可能性をもつということであった。"

"この点もすでに、ヴェブレンが、『営利企業の理論』のなかで指摘したところであり、また市場経済制度のもとにおける経済循環のメカニズムの不安定性を惹き起こすもっとも重要な要因であると考えた現象でもあった。
 この乖離は、とくに株式市場で顕著にみられる現象である。"

"人々が株式を保有しようとするとき、将来いつでも市場の条件をみて、無視しうる手数料を払いさえすれば、自由に売却することができるわけであるから、人々は、株式市場で成立する株価の短期的な変動のみに注目して、キャピタル・ゲインを実現しようとする。"

"このような投機的動機が支配的となっているような市場では、そこで成立する市場均衡は、企業の実質的価値からときとしては大きく乖離するのが一般的にみられる現象である。"

"ケインズは、このことが経済循環の不安定化要因となることを重要視し、株式売買にかんする手数料を大幅に引き上げるとか、株式をいったん保有したら一生手放せないようにすべきであるという提案すらしている。"
pp.157-158